二ヶ月の間


書くべきことがないのでほっぽっていたブログを二月ぶりに再開する。


じつは、夏の終わり頃に気にしていた、FEN(Far East Network) のことを調べ始めたら<泥沼>に入って、あれくれとやってたら2月もたってしまって、
で、寒くなってきたので、お外で遊ぶのはやめようかと。


あんまりよく分かってないものを調べると、どんどん分からないことが増えて、時間がたってしまう、という典型的な症状です。


とりあえず、以下、やったことをメモしておこう。


最初は、まあ適当に、FENの放送局の一覧なんかを整理してみるか、という程度で
FEN小史覚え書き(9)-FEN局表の作成の記事を書いたわけだが、やっぱりこのレベルで満足するのは、きもちが悪いと、思い直した。


そこで、AFRTS研究について、調べを始めた。
[FENの周辺]Patrick Morley本の巻末ビブリオ記載情報について
がその最初の記事になるのだが、そこからたどって幾つか専門論文を複写で取り寄せたり、他の書物を探したりして、あっというまに2ヶ月。
結局 AFNヨーロッパばかり(あとはグッドモーニングヴェトナムで有名になったAFVN)の情報が潤沢で、日本に関する専門研究は少なくとも英・仏・独・西・伊・日の言葉で書かれたものは0であることがわかった(他のメジャー言語のロシア語とかアラブ語とかまったく読めないので、そこのところがワカリマセン)。
この<研究がない>ということが<わかった>というのが、成果で、ようやく一歩目かな、と思って、ブログを再開するわけであります。

電子「書籍」試用顛末

Kindleに手を出す

5月終わりにiPadを手に入れてからというもの、読書環境というか「本」に対する感覚というものが変化してきた。
電子書籍に対する心理的抵抗が0に近くなった。
i文庫HDを使って「書籍」を読んだり、富士通ScanSnap S1500Mを使って「自炊」したり、最近ではAmazon Kindle電子書籍に手を出すようになった。iPad用のKindleアプリケーションが使えるのだ。

それまでAmazonで洋書を買うときは1に古本、2に古本であった。
本によって国によっては当該古本の輸出販売禁止があるので、その時は.com/.uk/.fr/.deあたりを駆け回って、購入できる国サイトを探す。それが無理ならガッカリしながら新本をポチる。

Kindleなら洋書をタイムラグなく古本より安く購入できる。今後、そのような購入欲望をどこまで押さえられるのか、かなりヤバイですな。

Google Booksを使い始める

Amazon Kindle=>(立ち読み)=>購入というAmazonに閉じた購入パターンに加え、Google Books検索=>立ち読み=>全文をそれで読む OR Amazon KindleへGO!という別ルートもある。

Goole Booksの閲覧用Webインターフェースは、購入を動機づけるためにわざと劣悪につくってあるんじゃないか、と勘ぐりたくもなるほどの「出来」である。

このあいだから本ブログで紹介していたAFRTS,A History of AFRTSもミシガン大学図書館所蔵本がスキャン済みだ。全ページがGoogle Booksサイトで閲覧可能であるがインターフェースのおかげでそのままでは読む気がおきなかった。
Amazonサイトで同スキャンファイルの印刷・製本・購入が出来るので注文、入手してみた。15ドル程度。

つまり、Google Books検索=>立ち読み=> Amazon リプリントサービスへGO!のパターンである。

体裁は簡易製本。ISBNコードが新たにくっつく。
光沢紙をつかった表紙にはReprints from the collection of the University of Michigan Library とある。裏表紙をみると、3つのロゴ。MLibray(ミシガン大学図書館)、Googlebooks、そしてなぜかhp(ヒューレッドパッカード)。hpロゴが載っているのは、Prepared for publishing by hpらしい。

OCR化はしていない。中を開くと、いかにも昔ながらのreprint版という感じのつくりである。しかし実用には耐える。
図書館への全文文献複写を製本込みで依頼する感覚に近い。
130ページ程度の「本」なので、見開き2頁一枚20セント程度。十分安いと思う。

Google Booksの原著作権と翻訳版権の関係はどうなっておるのだろう

Google Booksのネタをもう一つ。

ジュリアン・コープさんの『ジャップ・ロック・サンプラー』というカルトな「日本のロック」本について書いたことがあったが、同氏にはカルトな「ドイツの電子音楽」本 Krautrocksampler もあって、そいつをamazon.co.ukサイトで古本注文して先日手に入れた。

ところがである、このKrautrocksampler、サブタイトルがOne Head's Guide to the Great Kosmische Musik - 1968 Onwards と英語なのにもかかわらずドイツ語版であった。
UK Amazonのレビューサイトでは人々の怨嗟の声がひきもきらず、内容以前に「ドイツ語版ならドイツ語版って表記しろよ、売ったやつ」的星1つがずらり。レビューを見ずに買ったのが失敗だな(お互い様)。

英語とドイツ語なんて親戚なんだからお前ら読めよといいたいところだが、僕もドイツ語は遠慮したいほうなのだ。英語版らしい古本はドイツ語版の2倍するし、買い直すのも嫌だ。
仕方なしに辞書引き引き読もうかと思ったのだが、ちょっとまてまて。
Google BooksをSearch。
ありました。フランス語版Krautrocksampler
Krautrocksampler. Petit guide d'initiation à la grande kosmische musik.
全文OK。早速、インターフェースの劣悪さをもろともせず読んでます。ありがとうw。
版元のEditions Kargoは2008年に店じまいしたらしい。
電子書籍をめぐるこのような混沌状況はあっちこっちで生じているんだろうけど、僕はこの混沌を受け入れたいと思う。はは。ボブ・ランボー・ディランも次のように言っているではないか。

I accept chaos,
I am not sure
whether it accepts me.
I'm Not There

アイム・ノット・ゼア [DVD]

アイム・ノット・ゼア [DVD]

暑さを暑さで抑えてみる

昨夜、一時間ほどの雷雨。例年、8月の終わりの雷雨は秋の入り口のはず。しかし今年の夏は根性が入ってる。その後も涼しくならず。
暑いのは大歓迎。。汗をかくのも好きだし、なにより、何かで暑さをしのぐという楽しみがある。
水風呂に入るとかビールを飲みまくるとか流しソーメン機を作ってみるとか。夏がらみの落語噺をループで聴きまくるというのもよくやる。といっても怪談噺は嫌なので、青菜からはじめて、千両蜜柑、お初徳兵衛、ときて佃祭でしめる。青菜は米朝師であとは馬生師がよろしい。
でもそればかり聴いてるわけにいかないので、音楽にも工夫が必要。
暑さを暑い土地の音楽で抑える。剛を剛で制する。この夏よく聴いたのはインターネットラジオ局 Bollywood FM Tamil & Hindi。聴き続けると我に帰れないまま一日過ごすことになるのが欠点。聴きながら本を読めないんだよねインド音楽のノリは。

というわけで、ここ数日はすこし大人っぽくカリブとマグレブの歌姫二人 Omara Portuondoお母さんとSouad Massis姐のヘビーローテーションで快適。

Buena Vista Social Club Presents Omara Portuondo

Buena Vista Social Club Presents Omara Portuondo

Deb

Deb

ところで、僕がスアド・マシ(Souad Massi)さんを知ったのはメスク・エリルというアルバムのジャケ買い

Mesk Elil

Mesk Elil

この人、スザンヌ・ベガとかトレイシー・チャップマンとかジョニ・ミッチェルとかとあれこれ「比べ」られてますが、ルックス的には断然ジョーン・バエズ。綺麗である。
「黒の時代」の80年代終わりから90年代にアルジェリアで成人した女性なので政治・社会的にも苦労してる。最初は音楽は諦めて、都市計画の学士号をとって*1その関係の会社に就職。その間も作曲などをやっていたらしい。90年代後半になるとコンサートなどにも出演しはじめて、Atakorというロック・バンドのバッキングでカセットテープのアルバムを出す(Souadというタイトル)。そのときも髪の毛を短くして男装してたらしい(個人テロのターゲットになる可能性あり)。ジョン・ケリーのジョニミッチェル扮装とは意味が違う。
結局90年代末にプロになるのを決意してパリに移住。今に至る*2
個人的にはファーストアルバムRaouiがお勧め。

Raoui

Raoui

*1:アルジェリアで都市計画、っていうのがなんか、いいなあ。アルジェリアに潜むテーマですもんね、それは。

*2:以上、英語版wikiと、SOUAD MASSIの公式サイトのバイオグラフィーによる。

Patrick Morley本の巻末ビブリオ記載情報について

この一週間はブログどころじゃなかった。でも、そんなお役所仕事的雑用は強引に見切り発車で終わってみよう。いいだろ?こんなので(って誰に言ってるw)。

ということで現場復帰しよう。FENのお話の続き。
二週間ほど前の記事脚注に

また研究書をみてもPatrick Morley,"This is the American Forces Network" : the Anglo-American battle of the air waves in World War II,Westport, Conn. : Praeger, 2001.なんていう本があるし、その本を見れば参考書誌一覧がずらーっと載っているはずである。

と書いたが、その本を手に入れて本日眺めてみた。
巻末のA Note on the Principal Sources Usedというところにこの人が使ったソースがアレコレ解説されていた。
でも結局、AFRTSに関しては本ブログでも使ってる AFRTS,The First 50 Yearsが最強ということらしい。
本文を見てもAFRTSの歴史関係については、ほとんど同書参照、引用なのでした。

なお「AFRTSの50年」の著者は、Morley氏によれば「Lawrence Suid」という人物らしい(同氏のNational Archives調査による)。
この人物については不明。Susan McClearのALASKAN PIRATESの脚注にある人と同一人物か。

なお、同じ日付の記事で書名紹介したTamara Domentat,Coca-Cola, Jazz & AFN : Berlin und die Amerikaner,Berlin : Schwarzkopf & Schwarzkopf, 1995.も某所から借用したのだが、研究書じゃなくてビブリオグラフィーは載っていない。でもこれはこれでとても面白い写真満載の書籍(A3版)なので、いつか紹介します。

kohanaの現在

CodeIgniter以後のライトなPHP FrameWorkで期待をしていたkohanaプロジェクト。
一年ぶりにプロジェクトサイトを眺めてみると、迷走してます。
なによりドキュメント、フォーラムサイトが縮小。ライブラリサイトは見あたらなくなる。
見切り発車でversion 3へ移行だと。
PHP5限定というコンセプトはGJなはずだったが、ユーザがついて行っていないようだ。

で、とりあえずversion 2を使って野暮用をすませやした。使いやすいことは使いやすいんだよ。これ。

kohanaサイト
http://kohanaframework.org/

john-kelly-joni-mitchell 放談顛末

以前の記事で

GW前にロサンゼルス・タイムズのインタビューで、「ディランなんて、まがい物のパクリ男よん」などと発言したことから、はじまるジョニvsディランのファン戦争の顛末。これはいつか書く。

と書いた。
ホントに忘れそうになっているので今日書き留めておく*1

LATimesインタビューの芸能ゴシップ種としては、

こういうことをジョニ・ミッチェル(以下JM)大姉さんがおっしゃったもんだから、ヒートアップしたのだ。

爆弾発言なのかもしれないけど、それぞれの発言には文脈があって、文脈を面白がるほうが芸能「通」というものだw。

マドンナ=ネロ説

1980年以降、アメリカが軽薄でどうしようもない社会になっていて、その象徴がマドンナだというのがJM姐さんのご神託である。
社会破壊のシンボルとしてのマドンナ=ネロ説。

JM姐さんは女性歌手をほとんど誉めない(ただし男子にはかなり甘い)。アレサ・フランクリンとかビリー・ホリディレベルを除けばたいていは名前も挙げず一刀両断する人なので、それほど驚く発言ではない。
名前があがっただけスゴイという風に考えてみよう。

というか、マドンナなら「ネロより破壊力あるわよ、わたし」ぐらい言ってくれそうなので無問題。

プリンスに違和感+グレイス、ジャニス寝た寝た説

プリンスの話とグレイスやジャニスの話はセット。
1970年代の頃、JM姐は奔放な女というイメージで叩かれていて、プリンスにもそういう感じで扱われたことがある、という嫌みが一つ。
ローリングストーン誌に「男をとっかえひっかえしたグラフ」まで描かれて「今年のヤリ**」Old Lady of The Yearとまで言われたという嫌みがさらに一つ*2
グレイス、ジャニスの話も、その嫌み文脈で「わたしは彼女たちとはとは違うわよぅ」的なお話。

これもまた、以前から彼女の話をフォローしていれば違和感なし(あれ、僕はおかしいのか・・・w)。

ディランまがいもの男説

これも騒ぐことではない。
JM姐はかなり前からディランをあれこれ弄ってきたので、この畳みかけるようなひどい言い方(剽窃、偽物、騙し屋の3連発ですから、なにせ)ですら自分的には別にOKです。はは。

確か10年ほど前のニューヨークタイムス(記憶違いでなければ)にも「ディランはコピーキャット」(パクリ野郎)とかいうインタビュー記事がのっていたはず。もし当時ブログ、ツイッター社会だったら同じように大騒ぎだったろう。残念。

総じて彼女はディランのような「おふざけ野郎」と自分は違うと思っているのだ。
なので、同インタビューで「ボブとわたしは夜と昼」だと言ったのも違和感なし。
彼女の各種伝記本の中にも*3、その手の話が出てくる。

というか、本人はディランのようなタイプはニガテなのだと思う。僕はそういうニガテにツンする姐さんが好きだ。そういうことを彼女に言わせるディランのあっけらかんとしたマッチョさも好きである。

それにこのインタビューのディラン話は「あなたもディランも本名じゃなくて別の名前をもってますが」みたいな質問に、JM姐がカチンときたところから始まったのである。

「わたしはボブみたいに偽名をつけたんじゃなくて、ホントは本名でやりたかったのに当時の旦那が許さなかったのよ」(怒)。
過去の記事にも書いたけれど、姐さんにとってJoni Mitchellという名前は自分の憂鬱blueな過去とセットなので、「自由改名」したディランと一緒にされたくなかったんだろう、とも言える。

この件についてのブログ、報道記事のコメント欄を結構あちこち見たが、みんなマジメにJM姐を批判したり、「いやジョニミッチェルの言うことは正しい。ディランはガスリーのパクリで日本の作家の著作から盗作してる*4」とか、ああだこうだ。挙げ句の果てにフレーミングになることも珍しくなく、「ディランは偽名のユダヤ人でクソ」とか「カナダ人のジョニ・ミッチェルアメリカのことを言われたくない」とか、お前ら2ちゃねらーか、みたいな感じで面白かった。

大体7vs2で(1は「中立」かな)ディラン擁護が多かった印象だが、これもJM姐がビックネームだから「2」まで行った感じがする。ディランにここまでタイマン張れる有名人がいるだけいいじゃないの。

収穫はジョン・ケリーお「姉」さん発見に尽きる

それよりも。
この機会に、インタビューのもう一人の主役ジョン・ケリー John Kelly*5という人を知ったことが、収穫じゃありませんか?。僕はそうだった。
ケリーさんはオフ・ブロードウェイの俳優で、JM姐の格好をしてJM姐の唄を歌いはじめて20年以上の人である。詳しい記事が、2007年のボストン・グローブ紙に載っている。記事タイトルは「彼女の場合:ジョニとのチャネリング」。現在のステージ、評価も高いんだそうだ。で、その記事に載ってる写真のようにJM姐も「彼女」を認めていて、その流れで今回のインタビューに相成ったというわけだ。

youtubeには女装dragをしたジョン・ケリーお「姉」さんがJM姐のBlueとかを歌っている映像がいくつかアップされているけど、ホントにこの人、ジョニーミッチェルを好きなんだということが判るステージで、唄もうまい。
ついでに楽屋にJM姐さんが訪問する映像までアップされていて、アパラチアン・ダルシマー*6ジョン・ケリーさんに手渡しされ弾いてみる姐さんの照れ方*7に僕は少し萌えた。

*1:記憶だけで書いてるので、間違いがあったらごめんなさい。なお、本文の「」内の台詞は、僕の記憶からの復元であって、インタビュー記事のまともな翻訳ではないので注意を。

*2:1979年、当時ローリングストーン誌記者だったキャメロン・クロウジョニ・ミッチェル・インタビューを行ったとき、既に彼女は「こんなこと言われたのよ」と同じ嫌みを言ってるぐらいなので根が深いのである。なお同インタビューはキャメロンさんのサイトに全文載っている

*3:Karen O'Brien ,Joni Mitchell : Shadows and Light ,2003;Brian Hinton,Joni Mitchell,2000,2nd ed.;Lloyd Whitesell,The Music of Joni Mitchell,2008;Michelle Mercer,Will You Take Me As I Am: Joni Mitchell's Blue Period,2009

*4:いわゆる佐賀純一さんの浅草博徒一代問題

*5:JM姐さんの娘さんと同じ名前(名字)をもつのは偶然であろう。なお、米民主党ジョン・ケリーと同姓同名なので検索が難しい人であります。

*6:名曲『カリフォルニア』で弾いてるあれです。

*7:全然弾き方忘れてるやん、ヘタクソめwという感じであった。